
市指定有形文化財
元客自軒は、幕末から明治初期にかけて福島有数の割烹(かっぽう)旅館で、福島の歴史上重要な舞台となったことで知られています。
慶応4年(1868)に、北南町の金沢屋(かなざわや)に投宿していた奥羽征討軍の下参謀世良修蔵(せらしゅうぞう)を、仙台藩士が襲撃し、金沢屋の北側にあった「客自軒」に引き立てた後、阿武隈川畔で斬殺した事件があり、これが引き金となり東北の諸藩すべてを巻き込んだ戊辰戦争の拡大につながっていきました。
明治中期に所有者が代わり「紅葉館」と改名されましたが、福島の自由民権運動の中心人物である河野広中(こうのひろなか)が命名したと言われています。
その後、割烹旅館から下宿業にかわり、昭和61年に解体されるまで利用されていました。
建築部材はすべて細かく、当時の町家造の手法に近く、略式化した数寄屋造りの手法がみられます。
復原にあたってはのちの増築部分を除き、江戸後期頃の「客自軒」にあたる部分を原形に復しています。